被害者を攻撃する風潮がすごいんですけど

例えば、学校の中でいじめがありました、と言うと、
「いじめられるほうにも非がある」と加害者の非を無視して被害者をまず攻撃する。

周りの大人が 「そんなものはない!うちの学校は評判がいいんだからいじめなんかあるわけがない!」だと教師でもない有力?保護者が出てきて、もみ消しや隠蔽を図る。

タレントが事務所の社長に被害を受けたと主張すると、「何で本当のことを言うんだ、黙っていろ」と外野が騒いで被害者を脅す。

病院で、患者が何もしていないのに身体拘束されて医療従事者から暴力を振るわれたことが明らかになると、

事情を知らない外野の人間は「元々頭が狂っているんだから、暴力をふるっても仕方がない」と被害者を攻撃する。もっとも責任のある医師は存在しないことになっていてみないフリ。

どれだけ被害者を攻撃すれば満足するのか。

必死に加害者の擁護をするのはストックホルム症候群に近いだろう。

ストックホルム症候群は、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者についての臨床において、被害者が犯人との間に心理的なつながりを築くことをいう。ただし臨床心理学における心理障害(精神障害)ではなく、心的外傷後ストレス障害として扱われる。1973年8月、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A0%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

この問題を調査したアメリカ人のフランク・オックバーグ博士は、

人は、突然に事件に巻き込まれて人質となる。そして、死ぬかもしれないと覚悟する。犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そして犯人の小さな親切に対して感謝の念が生じる。犯人に対して、好意的な印象をもつようになる。犯人も人質に対する見方を変える。

と報告し、オーストリア少女監禁事件の被害者は、

被害者に、ストックホルム症候群という病名をつけることには反対する。これは病気ではなく、特殊な状況に陥ったときの合理的な判断に由来する状態である。自分を誘拐した犯人の主張に自分を適合させるのは、むしろ当然である。共感を示し、コミュニケーションをとって犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは病気ではなく、生き残るための当然の戦略である。

加害者の味方をするのは、被害者を叩く方が楽だから、というのもあるのかもしれない。
飼育されている羊なんだから仕方ないのかもしれないね。

加害者は社会的に強者のことが多いので、たてつくと自分も被害に遭ってしまう、だから一緒になって被害者を攻撃するんだ、と言ったクソみたいな合理的な態度が染み付いている。

なにか問題が起こるとまず国家と加害者の擁護

これじゃ国民総ストックホルム症候群だろ

いじめを止めたら自分も一緒になっていじめられてしまうから、一緒になっていじめているそんな感じで大人になってしまい、自分の態度を正当化しようとする。だから被害者を攻撃する発想が出てくるわけ。

長い物に巻かれて喜んでいるうちに国家の食い物にされる。

いつまでこんな態度でいるつもりなんでしょうかね。

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日記を書いています。雑記ブログということで、明確にテーマを決めているわけではありませんが、そのときに興味のあることや、日常生活で役に立つことを書いていく予定です。