南海トラフ巨大地震とは
南海トラフ巨大地震は、日本列島に最も近い巨大地震の一つだ。その規模はマグニチュード9クラスと推定され、東日本大震災と同等またはそれ以上の被害をもたらす可能性がある。
南海トラフ巨大地震の基本知識を確認していく。
南海トラフ巨大地震
南海トラフ巨大地震とは、
南海トラフ巨大地震とは、フィリピン海プレートとユーラシアプレートがぶつかり合う南海トラフで発生する、マグニチュード9クラスの巨大地震のことである。
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/nteq/assumption.html
数十年から数百年間隔で、南海トラフの断層を震源断層とする巨大地震が発生していると考えられている。
過去の地震からみると、南海トラフ巨大地震は、時に超巨大地震であったことがわかる。そのため、これから予想される南海トラフ地震も超巨大地震であると推測される。超巨大地震とは、マグニチュード9程度以上の地震のことで、地震学的に厳密な定義はない。
2011年8月、内閣府に「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が設置され、南海トラフ巨大地震の研究が行われている。南海トラフ巨大地震は、南海トラフ沿いで発生すると想定される最大クラスの地震であり、「南海トラフ地震」とも呼ばれている。
南海トラフの巨大地震モデル検討会
https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/model/
南海トラフの構造とプレート
四国の南にある南海トラフは、水深4,000mにも達する深い海溝で、駿河湾の富士川河口付近から九州沖まで、約1500kmにわたって続く沈み込み帯である。東端は富士山・箱根山・丹沢山地付近に、西端は琉球海溝につながっていると考えられていて、駿河トラフとも呼ばれている。
後にプレートテクトニクス理論が一般化すると、単なる衝上断層ではなく沈み込み帯であることが分かり、深さ6,000m未満なため「南海トラフ」と呼ばれるようになった。
南海トラフは、フィリピン海プレートがユーラシアプレート下に沈み込む場所になっている。フィリピン海プレートは北西方向に進んでおり、ユーラシアプレートよりも密度が高いため、ユーラシアプレート下に沈み込んでいるというのが、プレートテクトニクスからの説明である。
南海トラフの巨大地震は、フィリピン海プレートとユーラシアプレートが衝突する際に発生する。陸上のGPS観測網から、陸側のプレートが西北方向に移動していることがわかっている。これは、プレート間が固着して、引きずり込まれているためと考えられている。
海上保安庁の観測では、南海トラフ沿いの海底にも陸側のプレートが北西方向に移動していることがわかった。移動速度は海域によって異なるが、遠州灘と紀伊水道では年間6cm程度の移動が確認されている。
南海トラフは、第二次世界大戦後の昭和中期に、南海地震や東南海地震の震源域が西日本に平行に東西に延びている衝上断層のため、「南海スラスト」と名付けられた。
南海トラフの地震の特徴と想定される被害
南海トラフ巨大地震が発生した場合、西日本を中心に、東日本大震災を超える甚大な被害が発生すると考えられている。
巨大な津波が広範囲に押し寄せ、強い揺れによって建物やインフラが倒壊するなどの被害が想定される。
この被害は、国民生活や経済活動に大きな影響を与え、国難とも言える災害になる可能性がある。
土木学会は2018年、南海トラフ巨大地震が発生した場合の被害総額が最大1410兆円に達する可能性があると推計した。
2019年度に中央防災会議が発表した最新の被害想定では、南海トラフ巨大地震が発生した場合、死者数は24.2万人、家屋の全壊は217万棟と推計されている。これは、2014年度の想定と比べて、死者数は27%、家屋の被害は13%減少している。
一定の期間をおいて発生する
南海トラフ沿いの地震は、約90年から150年の間隔で発生すると考えられている。
従来は、東海地震、東南海地震、南海地震の3つの地震が連動して発生する「連動型」が定説だった。1605年の慶長地震は南海トラフを震源としていない、という異論もある。
また、南海トラフの地震は、200年程度の間隔で発生する、と考えるのが自然だという見解もある。
最も新しい昭和の地震は地震計による観測記録から、それより古い地震は地質調査や文献資料から推定されている。いずれもマグニチュードが8以上になるような巨大地震で、揺れや津波で大きな被害を出した。
震源域
過去の南海トラフ地震は、地震が起こるたびに震源域が少しずつ異なっていることが明らかになった。
例えば、1854年の安政南海地震の震源域は南海道沖全域だったのに対し、1946年の昭和南海地震は、南海道沖西側の4分の1が震源域ではなかった、と推定されている。
東京大学地震研究所の瀬野徹三氏は、東海・東南海・南海の3地震を「安政型」と「宝永型」の2種類に分類することを提唱している。
「安政型」は、南海トラフの東端の震源域と連動して静岡付近まで断層の破壊が進む地震と考える。
「宝永型」は、東端の震源域と連動せず、静岡付近まで断層の破壊が起きない地震と考えるものである。
地震発生間隔が記録と一致しない
1498年の明応地震以降は、文献資料が豊富で、地震の発生間隔は約100年で一定していると考えられてきた。
しかし、それ以前は東海道沖の地震の記録がほとんどなく、1361年の正平地震以前の間隔は記録に欠損があった。
一方で、1096年の永長地震以前は確かな証拠はなく、津波堆積物の研究から100年と200年の周期が交互に繰り返されているとする説もある。
また、地震連動の発生の様子を、プレートの相対運動やプレート境界の摩擦特性からシミュレーションする試みも行われているが、地震発生間隔などが歴史記録と一致しない点もある。
過去の巨大地震の規模
南海トラフ全域をほぼ同時に断層破壊する地震は規模が大きく、1707年の宝永地震は日本最大級の地震とされている。
1854年の安政地震は昭和地震より大きかったものの、宝永地震は安政地震よりさらに大規模だった。
例えば、須崎(現・高知県須崎市)では安政津波は5~6メートルの地点にとどまったのに対し、宝永津波は標高11メートル程度の地点、場所によっては18メートルの地点まで達した。
土佐藩による被害報告では、安政地震で潰家3,082軒、流失家3,202軒、焼失2,481軒に対し、宝永地震では潰家5,608軒、流失家11,167軒と、格段に多くなっている。
安政津波で壊滅し亡所となった集落は土佐国で4か所だったが、『谷陵記』に記された宝永津波の亡所は81か所にまで及んだ。
21世紀に入ってからの研究で、高知県土佐市蟹ヶ池に宝永地震による特大の津波堆積物が発見された。
この宝永地震のほかにも、津波堆積物を残す規模の地震痕跡は300~600年間隔で発見された。
宝永地震よりも層厚の約2,000年前と推定される津波堆積物が発見され、宝永津波より大きな津波が起きた可能性が指摘されている。
また、宝永地震では、昭和南海地震でも確認されたように、単純なプレート間地震ではなく、断層面が分岐している構造を持つスプレー断層からの滑りをも伴っている可能性も指摘されている。
南海トラフ沿いには、過去の巨大地震で生じたと推測されるスプレー断層が数多く確認されている。
長時間の長周期地震動
南海トラフ地震は、震源域が広いため、高層ビルや、オイルタンクなどに被害を及ぼす長周期地震動が起こる可能性がある。
古文書には、長時間にわたる地震の記録が残されている。これは、大地震に対する恐怖心から、誇張された表現であるという見方もある。
一方、震源域が長大な連動型地震では、長時間にわたる揺れが続き、破壊が伝わる時間も長くなり、複数の断層が同時に破壊されることがある。
南海トラフ地震は、繰り返し発生する「再帰性」と、複数の断層が同時に破壊される「連動性」が特徴と言われている。
プレートの固着
南海トラフは、約2000万年前に形成された比較的新しいプレートが沈み込んでいる。薄く、かつ温度も高いため、低角で沈み込み、プレート同士の境界面の一部が密着し固着が起こりやすくなる。また、震源域が陸地に近いため、被害も大きくなりやすい。
南海トラフにおけるフィリピン海プレートとユーラシアプレートの間には、ほぼ完全に固着状態が続いている。そのため、プレートの運動エネルギーはほとんどが地震のエネルギーとして開放される。
紀伊半島先端部の潮岬沖付近には、固着が弱く滑りやすい領域がある。1944年の昭和東南海地震と1946年の昭和南海地震は、いずれもこの付近を震源として、断層の破壊が東西方向へ進行したことと関連が深いと考えられている。
西日本大震災 スーパー南海地震
南海トラフ巨大地震が発生すると、東日本大震災に匹敵する災害が発生する可能性があると考えられている。この予想される災害を「西日本大震災」と呼ぶ者もいる。
また、南海トラフ巨大地震が相模トラフ巨大地震を引き起こす可能性を想定し、この2つの連動型地震を「スーパー南海地震」と呼ぶ者もいる。
2011年の東日本大震災をきっかけに、日本政府は南海トラフ巨大地震への対策を検討し始めた。2012年に中央防災会議に設置された「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」は、南海トラフで想定される最大クラスの巨大地震を「東日本大震災を超え、国難ともいえる巨大災害」と位置づけた。
まとめ
南海トラフ巨大地震は、日本を取り巻く地域における重要な自然現象の一つであり、その影響は計り知れない。
この地震を理解し、適切な対策を講じることは、私たちの安全と社会の維持にとって極めて重要である。
南海トラフ巨大地震への備えは、行政だけではなく、私たちの未来を守るための共通の課題であり、その重要性を忘れてはならない。