南海トラフ巨大地震の発生確率と過去の地震の歴史
南海トラフ巨大地震が来るとしたら、いつごろ発生するのだろうか。
でも、南海トラフ巨大地震の具体的な発生時期を予測するのは非常に難しい。地震学者は、南海トラフの地震活動を監視し、潜在的なリスクを評価しているが、正確な予測は不可能である。
南海トラフはプレートの境界で、地殻の変動が複雑で、過去にも地震が発生している。将来の地震の発生時期については予測が難しく、突然の出来事として備えることが重要である。
また、過去の大地震の歴史を振り返ることも大切だ。
地震の発生確率
地震学者は地震の発生確率を評価するためにさまざまな科学的手法を使用しており、これには過去の地震のデータ、地質学的な情報、地震の発生パターン、プレートテクトニクスの動きなどが含まれる。
時間予測モデルを用いる場合
地震を予測する際には、2つのモデルが使用される。
1つは「時間予測モデル」。このモデルは、地震による変位量と次回の地震までの回復時間が比例するというものだ。
もう1つは「すべり予測モデル」。このモデルは、前回の地震からの歪蓄積時間と地震による変位量が比例するというものである。
しかし、どちらのモデルも不完全であるとされている。
多くの断層は、弱いながらも時間予測モデルに従う傾向がある。1977年に島崎邦彦は、南海トラフ沿いの地震についても時間予測モデルが適用できるのではないかと考えた。
南海トラフ沿いでは、M8からM9クラスの地震が発生する可能性がある。
高知県室津港の隆起量と地震発生間隔の関係に基づく「時間予測モデル」によると、次回のM8クラスの地震は昭和南海地震から88.2年後と推定される。これをもとに、30年以内の発生確率は、α=0.20-0.24のBPT分布を用いて計算された。
次に最大クラス(M9超)の地震が発生する可能性もあるが、その発生頻度は「1桁以上低い」とされている。
時間予測モデルの限界
南海トラフ巨大地震の発生時期を予測する「時間予測モデル」には、以下の限界が指摘されている。 震源域が広範囲にわたるため、室津港の隆起のみで評価するのは不十分である。
隆起量が回復する時間に比例すると仮定すると、平常時の室津港の沈降速度は13mm/年となるが、水準測量による沈降速度は5-7mm/年と大きく異なる。
島崎邦彦が時間予測モデルが適用できると挙げている地震は、昭和南海地震の他、宝永と安政の2つだけである。白鳳地震以降から適用すると、時間予測モデルは成立しない可能性がある。
ある地震が他の地震に誘発される場合、発生時期が誘発で拘束されるため、時間予測モデルは成立しない。
また、時間予測モデルには、以下の具体的な問題点も指摘されている。 地殻変動量に用いられた室津港の水深の変化の誤差が考慮されていない。
地震前の水深の計測日が不明など、久保野家の記録を用いた変動量そのものに疑義がある。
これらの問題点が指摘されているにもかかわらず、時間予測モデルはあたかも科学的な判断のみで結論されたかのように見なされてきた。
時間予測モデルは、南海トラフ巨大地震の発生時期を予測する有力な手法であるが、その限界を認識した上で、慎重に検討する必要がある。
発生間隔による評価
南海トラフ地震の発生時期を予測する方法として、発生間隔のみを用いる方法がある。
この方法では、南海トラフ沿いで過去に発生した地震の発生間隔を調べ、その平均値をもって、次の地震の発生時期を推測していく。
しかし、この方法では、以下の点に注意が必要になる。
1605年慶長地震を南海トラフ地震として含めるか否かによって、平均発生間隔は大きく異なる。
白鳳地震以降のすべての地震の年代を用いるか、正平地震以降か、宝永地震以降とするかによっても、平均発生間隔は大きく異なってしまう。
地震の発生確率は、予測に不確実性が伴うことに注意が必要だ。地震は、プレートテクトニクスなどの複雑な要因が絡んで発生するため、予測が難しく、確実性のある予測は難しいのが現状である。
南海トラフ地震の歴史
南海トラフ沿いでは、過去に何度も地震が発生している。
歴史記録によると、これらの地震は、東半分と西半分で時間差やほぼ同時に発生したと推定されている。
しかし、南海トラフ沿いで発生した地震のうち、機器観測による記録が残っているのは、昭和地震だけである。
江戸時代以降の安政地震と宝永地震については、詳しい歴史史料が残っており、震源域をある程度特定することができる。
それ以前の地震については、史料が乏しく、断片的なものに限られている。また、震源域については諸説ある。
慶長地震については、南海トラフの地震であるかどうか疑わしいとする意見があり、康和地震については、南海道沖の地震であるかどうか疑義がある。
南海トラフ地震の発生時期
古村(2015)によると、南海トラフ沿いで確実に発生が確認されている地震の発生時期を見ると、東海道沖側では平均180年間隔、南海道側では平均252年間隔となる。
従来は、南海トラフ沿いの地震は、
南海地震
東南海地震
東海地震
の3つに区分され、
また、震源域は、
A(土佐海盆)
B(室戸海盆)
C(熊野海盆)
D(遠州海盆)
E(駿河湾)
のセグメントに区分されてきた。
しかし、宝永地震は、A(土佐海盆)の南西側に位置する日向海盆における日向灘地震も連動した可能性や、単なる3連動地震ではない別物の巨大地震との説も浮上している。また、1498年の明応地震は、南海地震と日向灘地震が連動した可能性も指摘されている。
予想と研究
1900年代初頭、今村明恒教授は、五畿七道大地震は南海道沖を震源域とする巨大地震であり、歴史的に繰り返されてきたと論じ、1928年に私費で南海地動研究所を設立した。
沢村武雄氏は、昭和南海地震の後に行われた測量の結果、四国南部で南東上りの傾動が確認され、室戸岬の隆起および高知平野の沈降を伴う地殻変動とほぼ一致していることを明らかにした。また、歴代南海道沖地震の震源は、潮岬沖から足摺岬沖へかけて続く北傾斜の断層線上に並んでいることに着目し、これを「南海スラスト」と命名した。
1960年代にプレートテクトニクスが発展し、金森博雄氏は昭和東南海・南海地震の震源断層モデルを求めた結果、これらの地震は南海トラフのプレート境界で起こっていることが明らかになった。
2003年時点
2003年時点の「東南海、南海地震等に関する専門調査会」の検討によると、今後発生が予測される南海トラフ巨大地震のうち最大のものは、マグニチュード8.7、破壊領域は長さ600km程度の3連動である東海・東南海・南海地震としている。
2011年時点 この想定は見直し
2011年東北地方太平洋沖地震の発生を受けて、南海トラフ巨大地震の想定が改訂された。
従来の想定では、東海・東南海・南海地震は3つの地震として発生すると考えられていたが、改訂された想定では、3つの地震が短い間隔で連動して発生する可能性も考慮されている。
この場合、太平洋ベルト全域に地震動による被害が及ぶ可能性がある。また、地域相互の救援・支援が実質不可能になるため、地方自治体は連動型地震を視野に入れた災害対策を講じる必要がある。
2010年の防災の日には、初めて3地震の連動発生を想定した訓練が実施された。
津波の高さ
東海地震、東南海地震、南海地震の3つの地震が同時発生、または数分 – 数十分の時間差で発生すると、津波の高さが重なり合って、土佐湾西部と東海沿岸の一部で10m近くに達する可能性がある。
浜岡原発にも近い御前崎付近では、同時発生の時に比べて、津波の高さが2倍以上となり、11mに達することもある。
また、この連動型地震は、さらに数百年に1回、震源域が日向灘まで伸びて、津波が九州佐伯市に押し寄せていた可能性もある。
1707年の宝永地震がこれに当たり、再び起きた場合、津波高の想定は、九州太平洋沿岸で従来予想の2m付近から最大で8m級に、四国南端部の土佐清水市で従来6m級から10m以上に上がる可能性がある。加えて、瀬戸内海まで津波が入り込む恐れもある。
連動型地震 連動 M9クラス
さらに、1605年の慶長地震の震源域でも、東海地震、東南海地震、南海地震の連動型地震と同時に発生すると、M9クラスの超巨大地震になる可能性がある。
このような広域連動型地震が発生した場合、津波の高さは、3連動型地震の1.5倍から2倍になる可能性がある。
ただし、慶長地震の震源域が南海トラフではないとする見解もあり、また、南海トラフは陸側と海溝側の二重の震源域のセグメントとなる証拠はないとされている。
津波による堆積物
大分県佐伯市の間越龍神池では、3300年前までの地層中に8枚の津波堆積物が発見された。特に大規模な地震のみが津波堆積物を残したと考えられている。
有史以来ではこのうち3枚であり、新しいものから1707年宝永地震、1361年正平地震、684年白鳳地震に対応すると推定される。
また、高知県土佐市蟹ヶ池で見つかった津波堆積物から、宝永地震の時の砂の厚さ以上の粗粒な砂が発見されていることから、津波が約2000年前に発生していたと推定される。この津波は、M9クラスの超巨大地震による可能性が指摘されている。
津波の痕跡
愛知県知多半島南部の礫ヶ浦礫岩層からは、M9クラスの超巨大地震の痕跡が見つかった。
南海トラフから琉球海溝まで全長1,000kmにも及ぶ断層が連動して破壊されれば、M9クラスの連動型地震や二つの超巨大地震が連動して発生する可能性がある。
この場合の震源域は2004年スマトラ島沖地震に匹敵し、過去には平均1700年間隔で発生していたとする説もある。
南海トラフから琉球海溝までの断層が連動して破壊された場合、震源域は2004年スマトラ島沖地震に匹敵する全長1,000kmに及び、過去には平均1700年間隔で発生していた可能性がある。
これは、御前崎(静岡県)、室戸岬(高知県)、喜界島(鹿児島県)の3カ所の海岸に残されていた、通常の南海トラフ連動型地震による隆起予測と比べて明らかに大きな隆起地形から推定されている。
しかし、この大きな隆起の痕跡の発見者らは、プレート境界の巨大地震ではなく、分岐断層あるいは海底活断層による内陸地殻内地震が原因である、としている。
2012年1月、東京大学と海洋開発研究機構の研究グループは、紀伊半島沖の東南海と南海の震源域にまたがる長さ200km以上、高さ500m-1kmの分岐断層を発見した。これは東南海・南海の過去の連動の証拠であり、地震の際に津波を増幅させ、同時に活動した場合に大きな津波が発生する可能性がある、と主張している。
南海トラフの位置と西日本の地形
フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むことで、ユーラシアプレートは圧縮応力を受ける。
地震が発生すると、この圧縮応力が開放され、地殻変動が南東方向に傾く。
東海・南海地震のたびに御前崎、潮岬、室戸岬、足摺岬は隆起する。地震後はゆっくりと沈降して回復するが、トータルでは隆起がやや上回る。室戸岬の海岸段丘や高知付近の沈降地形は、長年にわたる南海地震の繰り返しによって形成された。
室戸岬や足摺岬の段丘が現在の高さになるには約15万年かかる。これは、南海トラフ沿いの地震が有史以前から幾度となく繰り返されてきたことを示唆する。
地球深部探査船「ちきゅう」の調査によると、南海トラフ沿いの巨大地震は195万年前から発生しており、155万年前からほぼ現在の活動が続いている。
規模の大きな地震によって段丘は形成される。最も下にある最新のものは宝永地震の際に生成したものであり、次は平安時代、奈良時代と平安時代の間頃に発生した地震によるものである。
日本史上最大級といわれた宝永地震も、地質時代を通じた歴史の中ではごく普通の地震に過ぎないのだ。
室戸岬の地形
室戸岬の地形は、西南日本外帯の東西圧縮による南北に軸をもつ波状構造と、フィリピン海プレートの北西進による運動が同時進行している結果と考えられる。
その大規模な隆起は、プレート境界から枝分かれした陸地に近い分岐断層によるものだと考えられている。
御前崎で見出された約7000年間に4回とされる大規模な隆起の痕跡も、プレート内の断層活動による可能性が高い。
変位を伴う地震活動
富士川河口付近では、富士川河床に露出した13800年前の溶岩が、東側の富士市では地下100mに埋もれてるほどの差がある。
これは、東海地震の度に生じた断層活動の累積の結果である。
東海地震や南海地震の度に、高知付近や遠州灘沿岸は地盤が沈降した。浜名湖は、沈降したところに津波が襲ったことを繰り返すことにより形成された湖である。
高知平野などは、地震の度に沈降し、沈降後に堆積作用が働いた沖積平野である。須崎の東側の横浪三里は、沈降地形であるリアス式海岸である。
このようなリアス式海岸は、志摩半島、紀伊水道両岸、宇和海沿岸および佐賀関南側に広く分布し、地震の度に沈降の見られる地域に一致する。
西南日本外帯
南海トラフに平行して西南日本外帯には、赤石山脈、紀伊山地、四国山地と高峰が連なる。
御前崎から赤石山脈にかけて波曲しながら階段状に次第に高度を上げる地形は、フィリピン海プレートの沈み込みにより、ユーラシアプレート上の大地が圧縮を受けた褶曲活動の結果、もたらされたものである。
さらに、フィリピン海海底からもたらされた付加体がこれらの山地の形成に関わっている。
国土地理院のGEONET測量により、普段は東海地方、紀伊半島中央部、四国中央部および九州東部は隆起し、他方、御前崎、潮岬、室戸岬および足摺岬は沈降と地震による地殻変動とは逆の上下変動が示された。
また、GPS解析により南海トラフ巨大地震震源域ではプレート境界の滑り遅れが見られ、固着域の存在と次期地震への準備が着実に進行しつつあることが示された。
プレート間固着による年間約6cmプレート境界の滑り遅れ、すなわち陸側プレートの引きずり込みによる海底の西北方向への移動は、海上保安庁による観測からも裏付けられた。