寒さを癒す知恵が詰まった、日本文化の結晶 “こたつ” とは?

こたつは、寒い冬を過ごす上で欠かせない日本の暖房器具の一つ。

手軽に利用でき、長年にわたって日本人の生活に寄り添ってきたこたつは、単なる暖房器具を超え、日本文化と切っても切れない関係にある。

この記事では、こたつの歴史から特徴、種類、使い方などを解説していく。日本の生活になじみ深いこたつについて、その魅力を再確認してほしい。

こたつとは

こたつは、日本特有の暖房器具の一つである。簡易な枠組みの中に熱源を設置し、外側を布団などで覆うことで局所的な暖房空間を作り出す。

かつては木炭や豆炭を熱源に用いていたが、現在は電気こたつが主流となっている。掘りこたつと平こたつの2種類があり、こたつ布団で覆うことで暖気が逃げない構造になっている。

こたつ上には天板を置き、暖かな空間でちゃぶ台のように利用される。地域や年代によっては、火鉢のことをこたつと呼ぶ場合もある。

以上のように、こたつは簡易ながら独特の暖房効果をもたらす日本の文化であり、冬の生活を温かくする機能を持っている。

呼び方

現在主流の「こたつ」という漢字表記以外にも、歴史的には「火燵」「火踏」「火闥」などの表記が用いられていた。

「燵」は国字である。語源は「火榻」に由来するとの説がある。

略称として「こた」という言い方もあるが、丁寧語の「おこた」という表現がある。

このように、「こたつ」の表記は時代と状況によって異なるが、火を使った日本独自の暖房器具である点は共通している。寒い冬を乗り切る知恵の結晶として長く親しまれている。

世界のこたつ

こたつに似た暖房器具は、世界の寒冷地にも存在する。

イランやアゼルバイジャンの「コルシ」、アフガニスタンの「サンダリ」などがそれにあたる。スペインの「メサ・カミラ」もこたつの原型とされる。
オランダや北ドイツにも木製の小型暖房器があり、足を温めるのに用いられている。

日本のこたつは独特の文化であるが、世界の寒い地域には同様の知恵が生まれていたことがうかがえる。寒さを凌ぐ人々の工夫の結果として、共通の形に収斂したのであろう。

こたつの歴史

こたつの起源は、室町時代に中国から導入された低い脚の枠組みにあると考えられている。当初は椅子とともに使われ、足元のみを暖める物であった。

現在の形のこたつは、日本の畳の生活スタイルに合わせて改良が加えられたものだ。低い脚を四方に組み、蒲団で覆うことで、足先だけでなく膝から腰までを暖めるようになった。

蒲団用の綿布が日本にもたらされたのは16世紀以降であることから、この形のこたつが一般化したのは江戸時代以降と考えられている。日本的な生活に根ざした暖房器具として発展したと言える。

こたつは、囲炉裏の上に櫓を組み、蒲団をかぶせた形が起源である。

その後、囲炉裏を床より下げることで、足を入れられる空間を作った「掘りこたつ」が派生した。

さらに囲炉裏のまわりまで床を掘り下げ、腰をかけられる「腰掛けこたつ」へと進化した。江戸時代には大勢が入れる大型の「大こたつ」も作られた。

このように、こたつは日本の生活スタイルに合わせて様々な形に発展してきた。寒さを凌ぐための知恵が積み重ねられて今の形になった。

日本において、こたつは火鉢と並ぶ重要な暖房器具として発達してきた歴史がある。

電気こたつが普及する以前は、熱源に木炭や炭団を用いていた。燃焼を抑えるため、炭に紙や灰をかぶせて使うなどの知恵が生まれた。

このように、寒冷時の貴重な暖房手段として、燃料を節約しつつ使用できるように進化してきたのがこたつの特徴である。火鉢とともに冬の必需品であったと言える。

江戸時代中期のこたつ

江戸時代中期に広まったのが、「置きこたつ」である。

これは囲炉裏の代わりに火鉢を熱源に用いた移動可能な形状のこたつである。掘りこたつとは異なり、場所を選ばず利用できるのが特徴である。

当時のこたつの様子を実際に描いた貴重な絵日記に、石城日記がある。江戸時代の生活文化を知る上で重要な史料となっている。

このように置きこたつは、利便性を高めた改良型のこたつであり、江戸時代の暮らしに広く普及したことが分かる。

火鉢は寺院や武家の客向けに使われたのに対し、こたつは一般家庭での暖房器具であった。

そのため、内弁慶と同様に、外では控えめでも家では強弁を振るう人を揶揄して「こたつ弁慶」と呼んだ。

越谷吾山の「物類称呼」には、冬になると老人がこたつから離れられなくなる様子を「こたつ弁慶」と表現した例もある。

このようにこたつは、一般家庭の冬の必需品として、または人の性格の例えにも用いられてきた。寒さ対策の重要な暖房手段であったことがうかがえる。

明治時代のこたつ

腰掛けこたつの起源は、明治時代にイギリス人陶芸家バーナード・リーチが考案したものにさかのぼる。

正座が困難だったリーチは、足を下ろす穴よりも奥行きの深い囲炉裏部を設けることで、腰掛けとして使える掘りこたつを工夫した。

補充や掃除が大変な欠点はあるものの、志賀直哉や里見弴の著作で取り上げられるなど評価され、大正期に日本中に普及した。

これがきっかけとなり、「掘りこたつ」の語感は腰掛け形式のこたつを指すようになった。外国人の発想が日本の生活に取り入れられた好例である。

掘りこたつの燃料としては、練炭コンロを用いる方法も普及した。これは深い囲炉裏の不便さを避けるための工夫である。

練炭コンロに触媒をのせることで、一酸化炭素や臭いを低減できるようにもなった。

また1960年代には、燃料に豆炭を用いる豆炭こたつも登場。ダンパーによる燃焼調整が可能となり、安全性が向上した。

このようにこたつは、住宅事情や安全性への要請に対応し、燃料と仕組みを進化させてきた歴史がある。

大正時代のこたつ

大正時代には、移動可能な新型のこたつも登場した。囲いの中に火鉢状の熱源を置くこの形式は広く普及した。

一方で囲いのあるゆえに脚を伸ばせないという欠点もあった。そのため、熱源を上部に配置し、脚を伸ばせる形式の開発も進められた。

大正期には、天板下に電球や電熱器を装備するなど、移動可能で脚を伸ばせる新しい形のこたつも考案されている。

このように大正時代は、利便性を高めた新型こたつの登場期であり、試行錯誤の時代でもあったことが分かる。

昭和のこたつ

1932年に富山県の井田源蔵が考案し、1935年に登録された移動式こたつの実用新案が画期的だった。

これは天板下に断熱材と反射板を設け、熱源を下部に配し、脚が直接触れないよう金網を装備する構造だった。

この特許を基に「安全反射こたつ」が商品化され、当初は灰と炭を熱源に使っていた。電熱式になった後も、北陸を中心に販売された。

移動可能で脚を伸ばせるこの新型こたつは、大正期の試行錯誤を経て実現した快適なこたつの形であり、画期的な発明であったと言える。

昭和30年代以降

昭和30年代以降、上部加熱式の移動可能なこたつが本格的に普及していった。

1957年に東芝がニクロム線を熱源にした電気やぐらこたつを発売。性能と販売力が評価され全国的なヒット商品となった。

その後、熱源は遠赤外線などに変更されつつ、この形式が長く主流となった。過去の製品には可視光も放射するタイプもあったが、最近は光を出さないものが多い。

このように、上部加熱式の移動可能な電気こたつは、昭和中期に完成された形式であり、現在に至る標準的なスタイルとなっている。

過去の電気こたつには、電熱線から可視光線と赤外線を放射するレモン球式のものがあった。光と熱を同時に放出していた。

最近の石英管式ヒーターでも、赤い光を発する安価な製品がある。これは電球のような原理だが、赤外線に特化しているため明るさは劣る。

一方、光を放たない新型の赤外線ヒーターも登場しており、電源を入れても暗いままの製品が主流になりつつある。

このように、電気こたつは可視光線の有無という点で過去と現在で異なる技術的進化を遂げている。

電気こたつが初めて発売

電気こたつが初めて発売された当時、熱源部が白色であったため、多くの人が温熱効果を疑問視した。十分に温まるのかとの印象が強く、販売は低迷した。

そこで1960年頃、メーカー各社は熱源部を赤色にすることで、温かさが伝わる印象を強調した製品を発売。すると販売が伸びるようになった。

この経緯から、電気こたつの場合、可視的な発熱の様子は重要な心理的効果を与えていたことが分かる。外観上の温かさの訴求が商業的成功につながった例である。

こたつの使用法

現在、電気こたつは冬場の暖房器具としてだけでなく、年間を通じて利用される傾向にある。

夏場にはこたつ布団を外し、ちゃぶ台や座卓として使用するケースが多い。そのため通年商品と化している。

このような利用法から、布団を外した状態のこたつを「家具調こたつ」や「暖卓」と呼ぶこともある。形状も正方形から長方形に変化しつつある。

現在の市場では大手メーカーは参入しておらず、多くの中小メーカーが存在感を増している状況にある。

都道府県別のこたつの所有率

こたつの所有率を都道府県別に見ると、最も高いのが山梨県、最も低いのが北海道である。

北海道の住宅は断熱と気密性が高く、ストーブや床暖房などで屋内全体を暖めるのが一般的。局所暖房のこたつはそれほど必要とされていない。

対して山梨県はこたつの需要が高く、寒冷な気候と生活環境が局所暖房の必要性を高めていると考えられる。

このようにこたつ需要は地域の気候と住宅事情に左右されており、地域差が生じる要因の1つとなっている。

こたつの風習

かつての武家では11月の亥の子の日(亥の月亥の日)に暖房器具の使用を開始していた。一方、町家ではその12日後から火鉢やこたつを使い始めたとされる。

これは亥が防火の神である摩利支天の神使とされ、火を司る神でもあることに関係する。武家は亥の日に火道具の使用を始め、家の防火を祈ったのだという。

この風習は現在でも西日本を中心に残っており、11月に入ると茶家などで亥の子の日に「炉開き」の行事を行うことが多い。季節の変化を告げる文化的な意味合いがある。

まとめ

こたつは寒さ対策として誕生した日本独自の暖房器具ですが、長い歴史の中で日本文化と深く結びついている。日本の生活の大切な一部と言える。こたつの魅力を改めて知り、考えるきっかけしてほしい。

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日記を書いています。雑記ブログということで、明確にテーマを決めているわけではありませんが、そのときに興味のあることや、日常生活で役に立つことを書いていく予定です。